今から、25年ほど前に、私は高校球児でした。
高校2年の夏。3年生は引退し、2年生と高校1年の野球部員の新体制です。
私は、それなりに努力し、夏の合宿で紅白戦に臨みました。この紅白戦でアピール出来れば、その後の練習試合には、連れて行ってもらえます。アピール出来なければ練習試合や遠征などは連れて行ってもらえません。
夏合宿の最終日。いよいよ、紅白戦がやってきました。紅白戦は部員全員が交代で出場するので、レギュラーメンバー以外は打席が1打席しか回ってきません。
4回の裏、いよいよ自分の打席が回って来ました。ノーアウトランナーなし。ピッチャーは、同じ中学の後輩でした。
一球目は外角にボール。手に汗をかき、足は小刻みに震えていました。これで打てなければ練習試合に連れて行ってもらえない。それはイコール秋の大会のベンチ入りは無理、ということを意味します。
2球目は真ん中よりやや内ぎみの腰よりやや高めの球!今まで素振りをしている時に一番想定していた球が来たと思い、バットを強く振り抜きました。その時は、バットにボールが当たった感触がなかったです。球は左中間ややセンターよりに飛んで行った。
私は必死に走りツーベース!最高に嬉しかったし、これからさらに頑張ろうと思いました。
合宿が終わり、夏休みも終わりに近づいた頃、バスで行く練習試合がありました。
私はそのメンバーに入れませんでした。悔しいとしかいいようがなく、守備は下手でも打撃はアピールしたはずなのに、、、、、なぜと無念な気持ちになりました。他のメンバーとの力の差などを考えてのことかも知れませんが、少なくても紅白戦では、アピールできたはずなのに、、、、。監督も紅白戦で判断すると言っていたのに、、、、。まあ、当然、選手選考に説明などありませんから、悶々とするしかありませんでした。
ただ、後からコーチが監督に私を練習試合に連れて行ったらどうかと言ってくれていたとのことでした。それで選手の一員として練習試合に行けたわけではありませんが、それを聞いて救われた気がしました。見ていてくれる人はいるんだなと思いました。
何十年たった今でも、努力していれば、誰かが見ていてくれていると思うことができるようになりました。
ちょっとしたことでも生きていくための支えになり、情けないようなことから学んだりします。人生は分からないものですね。